ガヤガヤと何人もの声がする。突然騒音がしたと思って行ってみれば、ズタズタになった野犬の死体が転がっているのだ。騒がしくもなるだろう。
あのあと二人はすぐさま家に入り、尊音は踏子にもう一度固く口止めをして一人自室に籠っていた。

(さっき起こったのは、全部夢じゃない)

神様が現れたことも、妹の瞳の中に妙なものを見たのも、それが現実に起こりかけたことも。あまりにも荒唐無稽だが、あの時感じた恐怖と仮面を砕かなくてはという衝動、そして最後の攻撃の手応えはまさに現実のものだった。

何故今日はこんなに変なことが続くのだろう。こっそりと奉納したのは初めてじゃない。作法だって間違ってなかった。あんな犬、見たことも聞いたこともない。何でどうしてと繰り返すうちに、ふとある考えが浮かび上がる。

(もしかして、私の「歌」を認めてくれた…?)

そう考えれば辻褄が合う気がする。前に奉納したときはきっとまだ神が満足するには足りなかったのだろう。そして今年の「歌」はお気に召したのだ。
それならば、あの瞳に映った光景は?

(神様が、視えるようにしてくれたとか…)

奉納したのは心奪う歌。もちろん神に弓引く気はない。この歌は音色の出し方に気を使えば、ただ切な気な旋律へと姿を変えるのだ。それを聴いて抗う力が着いたと思い、あの光景を視る力を授けてくれたとすれば…。

(でも、どうして私に…)

考え込む尊音の脳裏にあの吟遊詩人との会話が甦った。
どうして危険を犯してまで旅をしながら歌うのか、と問うたとき彼女は笑ってこう答えた。


――あたしの歌を聴いて欲しいからさ。
――けど、聴いてくれる人をただ待ってるのは性に合わなくてね。
――多少危なかろうが外に出て思いっきり歌った方が、いろんなやつに聞こえるだろ?
――それだけさ。


(……あの人に教わった「歌」で認めてもらったんなら)

神は、尊音が歌を広めることを望んでいるのではないだろうか?
この村は祭りの日こそ人間が出入りするが、それ以外はほとんど外との交流はない。神がそれを良しとせず、外と村の両方の音楽、そして危険を打破できる力を持った尊音を選んだとしたら。
音楽の素晴らしさを世に広め、同時にそれを聴く人の理不尽な終焉をなかったことにしたいと望んでいるのなら。

「そっか……そうだったんだ……!!」

それならば早く行動を起こさなくては。窓の外を見ると真っ暗だった空はわずかに青みがかっている。夜明けが近いようだ。
尊音は立ち上がると急ぎつつ、なるべく音をたてないように準備を始めた。



朝、奏美が居間に降りてくると一枚の紙が机の上に置かれていた。手にとって見てみると、そこには少し乱れた字が並んでいる。急いで書いたらしい。

『神様がいろんな人を助けなさいとおっしゃいました。行ってきます。尊音』

(あらまあ……)

すっと目を細めて微笑む奏美。まるでこうなることがわかっていたかのような落ち着きで玄関に向かう。

戸口から外へ出ると、遠くで商人達の荷車が出立するのが見えた。
年のわりに頭が回るあの子のことだ。きっとあの小隊とともに出ていったのだろう。

「……行ってらっしゃい。」
(全ての音は、貴方の味方よ)

つぶやいた言葉は風に消え、森の葉をさわさわと揺らしていた。


終わり。