二人同時に振り返ると、一匹の野犬がこちらに向かって牙を剥いていた。踏子が小さな悲鳴をあげて後ずさる。思わず守るように前に出た尊音は、奇妙なものを見た。

(何あれ……お面……?)

悪趣味で犬には到底無理な、まるで顔面に張り付ているようなもの。初めて見るはずなのに、何故か見覚えがある。ついさっき、妙な違和感と共に見たそれは。

(踏子を、食べようとしてたやつ?)

妹の瞳の中にいた、大口を開けて飛びかかり、食らいつこうとしていた気持ち悪い獣。確かあれにもこんな感じの面があった。というよりも、こいつはあの獣そのものではないだろうか?

(じゃあ、もしかして)

(踏子はこいつに食べられちゃうかもしれない…?)

ぞっとする結末に思考がたどり着いた。
それはいけない。なんとしても避けなければ。
それに、こいつは嫌な感じがする。放っておいてはいけないと、何かが尊音の中で叫んでいた。

どうにかする術は、もう手に持っている。

「……踏子」
「なあに……?」
「これから姉様がすること、みんなにはないしょだよ」
「ねえさま……?」

中腰で琵琶を構える。いつもは座っているから、やっぱりやりづらい。でも、突破口はこれだけだ。

尊音はあることを思い出していた。それは、あの吟遊詩人が最後に教えてくれたこと。


――尊音ちゃん。
――この「歌」はさ、使いようによっちゃあぶん殴るより強い攻撃になることがあんの。
――だからね。


――いざとなったら、ぶっぱなしな。


ベイン、と六本の弦が鳴く。
獲物の思いもよらない反撃に、奇妙な獣は威嚇の声をあげながら後ずさった。
教わった「歌」は二つ。心を奪うためのもの。そして、破壊するためのもの。

(お前なんかに、負けたりしない)

真っ直ぐに敵を見据え、振り下ろした撥は今までとはまったく違う音を産み出した。
破壊を呼ぶ音波とノイズにまみれた衝撃波が野犬を襲う。不快な爆音で敵対するものの体に傷を負わせる「技」だった。
少女の全力を込めた攻撃に獣の顔面を覆う仮面には次第にヒビが入り、最後には粉々に消えてしまった。