01. 桜の丘の木の下で…

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麗らかな春の日差しが地面に降り注いでいる。ここは町を見下ろす丘の上。古い桜の木がある、ちょっと見晴らしの良い場所だ。その桜の木のそばで、アヤノは一人、物思いに耽っていた。気持ちよくポカポカとした陽気とは裏腹にアヤノの心は沈んでいた。

「入学式、やだなー。」

晴れ渡った空を見上げて、アヤノは呟いた。アヤノが沈んでいる原因は翌日に迫った高校の入学式だった。
今年からアヤノが通うことになった高校は県内でも有名な私立の進学校だった。可愛い制服とネームバリューに惹かれ、アヤノは友人のマヤと一緒に受験した。しかし、受かったのはアヤノだけ。マヤは県立の高校に行くことになっている。
つまりアヤノは一人で誰も知り合いの居ない学校に通わなければいけなくなったのだ。ただでさえ人見知りで、友達といえるのはマヤくらいしかいないアヤノにとって、それはとてつもなく不安なことだった。

「はぁ…。」

そんなわけで明日から憧れの女子高生になれるというのに、アヤノのため息は地の底を目指すかのように重かった。
一緒に肩もがっくりと落ちる。気分はどん底だった。

「…えっらく重苦しいため息だな、おい。あんた、大丈夫か?」

ふいに、背後から声をかけられる。アヤノはその声に全く聞き覚えがなく、眉をひそめながら振り返った。
そこにはアヤノと同い年くらいの少年が立っていた。明るい茶色の髪にちょっとつり上がった二重の目が特徴的な少年だった。彼は水色のパーカーに黒いジーンズと白いスニーカーを履いていた。片手には白いビニール袋を下げているから、コンビニ帰りか何かだろう。

「あー、こりゃダメだ。あんた、幸薄そうな顔してるもん。そんな顔してたら幸せが裸足で逃げてくぜ?」

少年は呆れたように眉尻を下げている。アヤノはそんな彼の様子にムッとして、眉間のシワを深めた。

「おっ?睨んでる?その方がまだマシな顔だぜ。勇ましくってさ。」

あははっと少年は笑った。アヤノは完全に不愉快な気持ちで少年からぷいっと顔を背けた。

「あれ?怒らせた?…ごめん。俺、お調子者だっていっつも怒られるんだ。お前は一言も二言も多いってね。」

そう言いながら少年はアヤノの方に歩いてくる。そして、アヤノの隣にくると「よっこらせ」と言って木の根元に座った。

「…え?何?!なんでそんなナチュラルに隣に座り込んでるの?!」

アヤノは妙に馴れ馴れしい態度の少年に胡散臭いものを感じ、距離をとる。元来人見知りであるから、赤の他人がいきなり話しかけてきただけでも警戒心がフル稼働していた。ついつい声を荒げてしまうのも仕方のないことだった。

「なんでって…ここ、俺の指定席だからさ。」

少年はニカッと笑って、手に持ったビニール袋を掲げてみせた。

「俺、こっから見る景色が大好きなんだよ。だから暇があるとここきて、しばらくぼーっとしたり、おやつ食べたりするんだ。」

言いながら、ガサガサとビニール袋を漁る。中から出てきたのはコンビニで売ってるイチゴ味のチョコレート菓子だった。

「…アポロ?」

「あ、今、似合わないって思っただろ?!」

思わず呟いたアヤノに少年が噛みつくように振り返る。

「え?いや、そんなことないよ?私もアポロ、好きだし。」

アヤノは若干怯え、慌てて取り繕った。そんな様子には気づかず、アヤノの言葉を聞いた少年は途端に笑顔になった。

「アポロ、うまいよな!」

ニコニコと嬉しそうに彼は笑って、「あ、食べる?」とか言いながらチョコレート菓子を差し出してきた。

「あ…ありがとう。」

おずおずとアヤノは手を出した。少年は軽くチョコレート菓子の箱を振って、中身をアヤノの手のひらに落とした。
三つ出てきたチョコレート菓子をアヤノは時間をかけて食べた。その間、二人はただ黙って景色を見ていた。

「…良い景色だよね、確かに。」

食べ終えたアヤノがポツリと呟いた。

「え?なんか言った?」

少年には声が小さすぎて聞こえなかったらしい。不思議そうにアヤノを見ている。

「…なんでもないよ。」

アヤノはちょっと決まりが悪いと感じてうつむいた。

「ふーん?あ、そういえばさ、まだ聞いてないよな、あんたの名前。」

少年は大して気にした様子もなくチョコレート菓子を口に放り込んでいる。

「…そういうのって、まず自分から名乗るものじゃない?」

アヤノはちょっと苦笑して少年を見た。

「俺?俺は…あんまり自分の名前、好きじゃないんだよなぁ。」

少年は顔をしかめて腕組みした。一緒にバリボリとチョコレート菓子を噛み砕く。

「へぇ?なんで?」

そんな少年の子供っぽい態度にアヤノはつい、クスクス笑いながら尋ねてしまった。

「…笑うなよぉ。だってさ…俺の名前、ハルっていうんだぜ?ハルなんて婆さんみたいな名前、恥ずかしいじゃんか。」

そう言って、ハルは顔を赤らめた。

「あら、良い名前じゃない。君にぴったりだよ。」

アヤノは本当に彼にぴったりの名前だと思って、微笑んだ。いつの間にか、落ち込んでいたアヤノの気持ちをあったかくしてくれたハルは本当に春みたいだった。

「…で?あんたは?」

ハルがムスッとしながら、アヤノを見る。

「え?何が?」

「何がって、だから名前。」

アヤノのマジボケにハルはちょっと呆れたように返す。

「あぁ、名前ね。私はアヤノ。井上アヤノだよ。」

不思議なくらい素直にアヤノは自分の名前をハルに教えていた。

「アヤノ…ふーん、良い名前じゃん。」

ハルはにっこりと満足そうに笑った。そしてまたチョコレート菓子を口に放り込んだ。