第1話. 死神、クリスティーナ




――痛ぇ。
彼が最初に思ったのはそれだった。鉄パイプよりは柔らかく、しかし人間の骨を折るには十分な強度の何かで額を叩かれた感覚だ。
誰かがそれを横で思いきり振り抜いた…そして、その衝撃で榛名の体は後ろに傾き、尻餅をつく。
「っで!!な、なん…」
一体何だと、言い切る前に絶句した。
自分の前には足があった。誰かがバッタリうつ伏せに倒れているのだ。見慣れた靴、服、頭――……榛名の前に倒れているのは、他でもない榛名自身だった。

「な…何だこりゃぁああ!!」
叫ぶ彼の横をサラリーマンが通り、倒れた榛名の肩を叩く。後ろでは信号待ちをしていた人々がざわめき、榛名の身体を指しては怯えた表情をしていた。
「おい君、大丈夫か!おい!」
「お…おぅ、俺は平気なんだけどよ、これ一体どうなってんのか…」
「ダメだ、意識がない…誰か救急車を!」
「は?おい、平気って聞こえてねーのか?こっち見ろよ、おい!」
榛名はサラリーマンの腕を掴もうとしたが、まるで空を掴むようにすり抜けてしまった。呆然として自分の手を見つめ、倒れた身体を見、後ろの人々を見てようやく事態の把握に至った。

――こいつら俺が見えてねぇのか…?声も…って事は、まさか……

血の気が引き、顔が青ざめる。幽霊お化けの類を全く信じない彼だったが、今やそういったスピリチュアルな存在も考慮できる状態になっていた。そう、いわゆる――
「幽体離脱しちゃってんじゃねぇか?俺……」
とにかく道路はまずいと歩道へ運ばれていく自分の身体を眺めながら、榛名は立ち上がった。
身体がどけられた事で、信号前で止まっていた車も走り出すだろう。ぶつからないとはいえ、車が自分をすり抜けていくのは見たいものでもない。ひとまず、歩道へ戻る。
「…こういうのは、アレか…俺は今魂の状態なんだから、身体に入っちまえば元通りのはずだ」
普段一人言など言わないのだが、動揺と焦りでつい口に出てしまう。歩道の端に横たえられた時を狙って、榛名は自分の身体に向かって走り出

「そんな事をしても無駄じゃ、馬鹿者」

可愛らしい声が聞こえた。と同時に彼は横から出された足に引っかけられ――
「ぶへぁっ!!」
地面に盛大にスライディングした。霊体でも転ぶと痛いらしい。顔と手に見事な擦り傷を作り、しかしその痛みより足を引っかけてきた相手が気になった。
榛名は勢いよく起き上がりながら振り返り、その姿を目にする。

「ふむ…これはとんだ失態じゃな」
平然とした顔で呟いたのは、飴を持った小さな女の子だった。


【第1話 死神、クリスティーナ】


昭和か明治かに戻ったかのようなおかっぱ頭だが、当時よりは長めに切り揃えられている。カンガルーの着ぐるみパジャマを着こみ、年の頃は10才か11才かというところ。
その手にあるのはぐるりと渦を巻いたペロペロキャンディで、黒い紐で背負っているのはぬいぐるみのようなネコ型リュックだった。榛名の頭上に沢山の疑問符が浮かぶ。
「…お前…何だ?」
「私は『魂狩り隊』不言実行の一、“不”のクリスティーナじゃ」
「は…?魂狩りた…魂狩りたいっつったか今!」
「ちゃんと聞け、『狩り隊』じゃ。音が違うじゃろ、音が」
呆れたように肩をすくめ、少女はてくてくと榛名に歩み寄る。身長は年相応のものであるのに、その目と表情はずっと大人びていた。
「まぁ、所属など言ってもわかるはずがないか…。要するにアレじゃ。お前たち生者は我らを神と呼ぶぞ」
「神?…お前が?」
「あぁ、死神と呼ばれておる」

……。

パチパチと二回瞬きして、榛名は少女を見つめた。
死神とは黒いマントでフードをかぶったドクロ顔で、でかい鎌とか持ってるんではなかったろうか。このちんちくりんが死神とかありえないんではないだろうか。
そんな事を考えていたのだが、少女はほぅ、と驚いた顔をする。
「死神と聞いて逃げんか。珍しい奴じゃ」
「いや、まずは信じらんねぇだろ…」
「そうか。まぁ追う手間がなくて良い、そのまま話を聞いていろ…。まず、お前は幽体離脱のような半端な状態ではなく、魂と身体の繋がりが完全に切断された状態にあるのじゃ。身体に入ろうとしても入れん」
「…?どういう事だ、そりゃ」
「そして、我らの仕事は他でもない、寿命を迎えた者の魂を身体から分離させる事じゃ。我らはそれを指して『魂を狩る』と言うがな」
「…じゃ、俺がこうなってんのはお前がやったのか」
「あぁ」
「…なんだ、もう寿命だったのかよ…十七年て。短けっ」
深くため息を吐きながらも、ひどく悲しむ様子はなかった。死んでしまったものは仕方ない――それも寿命なら尚更だ。場所が道路なのに事故死でなかった事は幸いか。
そう考える榛名を眺めながら、少女は左手のペロペロキャンディを何度か舐め、口を閉じてしっかり味わう。そして、己の人生を振り返っている目の前の少年に向かい、けろりとした表情で言った。

「いや、お前はまだ寿命ではない」
「……は?」
「まだ死ぬ予定ではなかったのじゃ。しかし一度繋がりを断ち切った…つまり死んだ今、そう簡単に身体に戻る事はできん」
「おい…ちょっと待て、お嬢ちゃんよ」
「お嬢ちゃんではない、クリスティーナじゃ」
「その合わねぇ名前も突っ込みたいとこだけどよ、俺まだ寿命じゃないんだろ?何でこうなった」
相手が大人の男なら脳天に手刀を振り下ろして問いただしたのだが、こんな小さな少女ではそうするわけにもいかない。榛名は自分にできる精一杯の笑顔で聞いてみたが、端からは小学生相手に本気でガンつけてる高校生にしか見えなかった。

哀れ榛名の死亡理由や如何に。