第5話. 怨霊登場、逃走劇!





車内はひどく静かだった。
乗り込んでからまだ一分も経っていないというのに、運転手を除く三人は車酔いしたかのように顔が真っ青になっている。

後ろを振り向く勇気はなかった。
振り向けばトランクが――死体の入ったトランクが、目に入る。どうせちょっと気絶しただけなのだろうと、理由もなく信じていた自分達が恨めしい。きっと榛名は急病だったのだ。あのまま救急車が来ていれば助かった。故意でないにせよ、三人は人を死に至らしめてしまったのだ。

自首をするべきかとも悩んだが、そうするには相談相手、大物政治家である会沢の父の対応が早かった。部下と車をこちらへ回し、三人を屋敷へ送った後で死体はプロに処理させる、と。

「……」
重苦しい沈黙は続く。もうしばらく走れば閑静な裏路地は終わり、行き交う車や人々の発する雑音が気をまぎらわせてくれる。三人はそう信じていた。
…が、それは見事に裏切られる。

『…い』
「…あ、すいません…ぼーっとしてて。今何か言いました?」
蒼白な顔で相田は萩原を見るが、彼もまた「今何か言ったか」と聞こうとしたところだった。
「俺は何も言ってねぇよ」
「?俺も…」
『らァ!…待てって…てんだろうが!!』
「後ろ…!?」
どこか聞き覚えのある声が、少し反響気味に聞こえていた。しかも、先程より近くで。後部座席にいた相田と萩原は同時に振り向き、助手席の会沢もつられてそちらを見て―……

『そこの車止まれぇえ!!ブチ殺すぞ!!』
「「「っぎゃぁあああああ!!!」」」

三人は、絶叫した。


【5 怨霊登場、逃走劇!】


「っ!?」
あまりの大声に運転手は驚き、ぐらりと車体が揺れる。慌ててハンドルを握り直した彼は、一体何事かとバックミラーを確認した。遠くから恐ろしいスピードで何かが走ってきている。みるみる内に近づいてくるそれは、さっき彼がトランクに入れた死体と同じ顔だった。
「なっ、ななな!?」
「い、急げ!早く!!」
急かされるままにアクセルを踏むが、それでも後方の少年は徐々に距離を詰めてくる。額には白い三角の布をつけ、足元はボゥッとぼやけていてよく見えない。加えて、彼の身体をうっすら覆う黒い影……
「ユーレイだ!榛名のユーレイが身体取り返しに来たんスよ!!」
「ゆゆゆユーレイなんているワケねーだろ!!」
「いいい居るじゃないッスかすぐ後ろに!!」
『俺の身体返せぇぇえ!!』
「「「ぎゃあああああ!!」」」


「――おいクリス!あいつらスピード上げるばっかで全然止まんねぇぞ!」
「ふむ…だろうな」
「あぁ!?」
全力で走りながら、隣を駆ける少女を見やる。そもそも子供が並んで走れるスピードではないのだが、そこに突っ込む余裕は榛名にはなかった。クリスは前を向いたまま、息も乱さずに言う。

「向こうからすれば、世にも恐ろしき亡霊に追われている状況じゃ。逃げて当然」
「仕方ねーだろ!これつけて車に触れなきゃ、身体も…」
「視布は姿を見せる相手を選べるのじゃ。今はただ物に触れられれば良いのだから、誰かに姿を見せる必要はなかった」
「そういうの先言えっつの…!」
「言う前にお前があの四人を対象にしてしまったんじゃろ。“声をかける”ために」
「くっそ……」

車はだんだん遠ざかり始める。このまま大通りに出られては止めにくい上に、パニック状態の相手はどんな事故を起こすかもわからない。下手して事故になってトランクがぺしゃんこになったら…それこそ、榛名が復活する可能性はゼロになる。
「このままじゃマズイよな…どうしたら」
「まぁ、任せておけ」
自信に満ちた声で、クリスが一歩、前に出る。少しだけこちらを振り返った少女は、口元に笑みを浮かべていた。
「“不”の位は伊達ではない」
「は……?」
「要は車を止めれば良いのじゃ。止めさえすれば」
「……」
榛名はなんとなく、嫌な予感がした。

「お前、何考えて―…」
言い切る前にクリスは消えた。否、強く踏み込んだために一瞬、榛名に追い越されたのだ。
そしてその足が地面から離れ、もの凄い勢いで飛び出したクリスを風が追う。突風が横を通り抜け、その余波に驚いた榛名は思わず立ち止まった。

「っ!?」
とっさに顔の前で交差した腕をどけたのと同時、

ドガァアン

車が派手に電柱にぶつかる音が聞こえた。コンクリートの地面には車が回転した跡が残っており、道をゴロゴロ転がっていくのはひしゃげたタイヤだった。

「……いや、いやいやいや!駄目だろそれ誰か死んでんじゃねぇのか!?つか俺の身体…!!」
榛名の心配などどこ吹く風、平然とした顔で着地したクリスに呼びかけながらそちらへ駆け寄る。幸い大きな火は出ていないようだが、車からは白い煙がもうもうと立ちのぼっていた。フロントガラスは割れ、乗っていた四人は気絶している。

「よし、ハルナ。今の内じゃ、トランクを開け」
「お前すげェ無茶するな…誰か死んだらどうしてたんだ」
「安心しろ。きちんと手加減をしたのじゃ」
そう言うクリスが持っているのは、先程見せた千歳飴。持ち手の近くから先端までが白くユラリと光っている。それを見る榛名の表情から読み取ったのか、クリスは聞かれる前に「あぁ、これか」と言った。

「高密度の気を練り込めば、それは実体に触れる事ができるのじゃ。刃物系の“刈生”を使う者がやらかした跡を、生者は勝手にカマイタチと言うが」
「……“やらかした”?」
「うむ。雑な仕事で申し訳なく思うぞ」
「思ってねーだろ絶対……」
ため息混じりに言って、榛名はトランクに手をかけた。そして鍵がかかっているとわかった時点で、クリスが無言で鍵をぶち壊してくれた。手をどけるのがあと一瞬遅かったら、榛名の手も粉砕されていた事だろう。

「お前…本当自覚しろよ…危ねぇよ」
「よし、間違いなくお前の身体じゃな」
(聞いちゃいねぇ……)
身体にかけられた布を適当に放り、持ち上げようとする。見事な低体温、見事な死後硬直始めであった。榛名の顔が少し青ざめる。
「…これ、平気か…?」
「さぁな。じき野次馬が来そうじゃし、今の内に連盟へ戻るぞ」
「連盟?」
「天地連盟日本支部。私が属する『魂狩り隊』の本部はそこにある」
「はぁ…やっとって感じだな…」
ゴキゴキと音を立てて首を回し、榛名はため息をつく。身体を取り戻せたは良いが、果たして元に戻る方法があるのか否か…

全てはまだ、これからなのだ。