第7話. トラブルシェイカー、ニコ





ガン!

金属同士がぶつかり合う硬質な音が響き、攻撃を仕掛けた誰かはヒュウ、と短い口笛を吹いた。
「さっすがぁ〜♪惚れちゃうね」
「…お前が未熟なだけじゃ。ニコ」
呆然とする榛名の前で、ニコと呼ばれた女性は両腕に込めていた力を抜いた。クリスが片手で構えていた千歳飴から刃が離れ、大鎌は持ち主の手でクルリと回され持ち直される。口には火の点いたタバコを一本くわえたまま、ニコはクリスに笑いかけた。

「今日は任務で帰んないと思ってたわ。何、あの子関係あんの?」
「大アリじゃ」
「ふぅん」
まるでイタズラをする子供のように笑みを広げ、ニコは榛名に向き直る。手にした大鎌は溶けるようにその姿を消した。


【7 トラブルシェイカー、ニコ】


背中まで伸びた朱色の髪は細く、浮かべる笑みには自信が溢れていた。特徴的なのは服装で、上半身を見ればトレンチコートと思うのに、下半身だけではチャイナ服のようだ。加えて左の二の腕には2つも腕章をしており、上は「風紀」、下は「略奪」と刺繍がされている。見た目では24、5歳だろうか、ニコはくわえていたタバコを片手に持つと、深く煙を吐き出した。

「君、死者だよね。自分の死体持ってどうしたの?」
「どうしようかを相談しに来たんだよ。このまま間違いで死んどくわけにはいかねーし」
「間違い?…まさかクリス」
ニコは訝しげな顔でクリスを見やる。クリスは顔色一つ変えずに頷いた。
「うっかり叩いてしまったんじゃ」
「うっかりって……」
唖然として呟くニコを見て、榛名はそうだよな、と思う。うっかりで魂を狩られていてはたまったものでは

「サイッッコー!!!」
「!?」
「さっすがクリス、最高よ最高!うっかりで生者の魂狩っちゃうなんて聞いたことないわ!あの子どうなるか超楽しみ!」
「……」
ひどく興奮した様子でクリスの肩を叩くニコを、榛名は唖然として見つめた。「よくやった」と言わんばかりの嬉々とした表情だ。人一人の命が懸かっているのにこんな軽い態度で良いのだろうか。

――いや、駄目だろ……。

不謹慎な奴だと呆れていると、視線に気づいたのかニコはハッとして顔を上げた。こちらを振り返り、苦笑する。
「あ…ごめんごめん!自分の命懸かってんのに喜ばれたくないよねぇ」
「というか、喜ぶ意味がわからん」
「あたしトラブル大歓迎だから、つい」
「ニコはトラブルに首を突っ込んで更にややこしくするのが趣味なんじゃ」
「何だそのはた迷惑さ!!」
「ちょっとクリス、誤解招く言い方はやめてよ。あたしはただ、お祭り騒ぎするのが好きなだけなんだから」
「どっちが誤解を招く言い方じゃ」
呆れ声のクリスが門に近付くと、重そうな両扉が勝手に開いた。屋敷の入り口に扉はなく、門から一直線に白い床が続いている。外観は武家屋敷のようでも内装は違うらしい。ごく当たり前のように一緒に門をくぐったニコを見て、榛名は口を開く。

「…アンタもここの奴なのか」
「そう。『魂狩り隊』不言実行のニ、“言”のニコ。よろしくね、えーっと…生者クン?」
「榛名純真だ」
「シュンマ?あんま聞かない名前ね。なんて字書くの?」
「……。それより、不言実行って何の事言ってんだ?お前もなんか言ってたよな」
“純真”と書くとは言いにくく、榛名はクリスを見てそう言った。そういえばまだ説明していなかったかと、一つ頷いてクリスは話し出す。
「各隊の信条や方針を示す言葉じゃ。ウチは不言実行、『説得次第』は臨機応変というように、文字は四つ。上から順に隊員の位を表すものでもある」
「私は上から二番目の位が与えられてるから、“不言実行”のニ、“言”を名乗ってるわけ」
「へぇ…ん?…クリス、お前確か――」
「“不”じゃ」
「一番目じゃねぇか!何でそんな奴がうっかりミスとかしてんだ」
「その突拍子の無さがクリスの面白いとこなんじゃない。長所長所」
「……」

いくつかの小部屋を脇目に廊下を歩き続け、やがて大きめの部屋に出た。半分には会社のオフィスのように個人用の机が沢山それぞれの個性に彩られて並んでいたが、もう半分には机が一つしかない。
壁付近には本棚が並び、床の上も大量の本で埋まっていた。重なりあった本の山から天井に向かって、ジャージらしきズボンとサンダルを履いた誰かの足が飛び出ている。
その異様な光景が見えていないのか、ニコは面倒そうにため息をついて机に向かって歩き出した。
「あーあ。あたし報告書やんなきゃ…二人はそのまま隊長室でしょ?悪いんだけどさ、ちょっとラビットファーの機嫌とっといてくんない?」
「なんじゃ、また現世の物を壊したのか」
「…少しよ、少し。ビルに亀裂入っちゃっただけよ」
「それ少しじゃねぇから。つか、ちょっと説明してもらいてぇんだけど…」
「見ての通り、事務仕事をする部屋じゃ。ここは“不”“言”専用じゃが」
「ちげーよ、あの足って」
「あ、気にしなくていいから」
「いや無茶言うなよ」
本の山の中で一体どういう体勢になってしまっているのか、ひどい格好悪さで突き出た足はピクリとも動かない。
クリスとニコは慣れているのか、埋まった誰かを心配する素振りもない。それでもついじっと見ていると、自分の席に着いたニコが一言付け加えた。
「まぁ、残念なイケメンとだけ言っておくわ」
「は…?」
「何をしている。置いていくぞ」
ニコの言葉に疑問符を浮かべつつ、クリスに言われて再び歩き出す。とりあえず、埋まった男が二人に呆れられている事だけはわかった。

「そういや…あいつ何でお前に攻撃してきたんだ?」
再び廊下を歩きながら、榛名がふと尋ねる。クリスは肩をすくめた。
「あ奴は好戦的なんじゃ。手合わせはいつでも良いと言ったら奇襲してくるようになった。あれは日常じゃ」
「マジかよ…もしかして、あの大鎌があいつの?」
「そう、刈生じゃ。あれを振り回して追いかけると、生者が怯えて楽しい…だからあの形状を選んだ」
「…悪質だな」
改めて呆れていると、クリスが立ち止まった。廊下はまだ続いていたが、屋敷に入って初めての扉が目の前にある。心なしか装飾も丁寧だが、取っ手が見当たらない。横の壁に「呼」「出」「入」と縦に三文字書かれているのみだ。
「…?何だこら」
「『呼』をノックしろ。音が内部に拡張される」
「変わった呼び鈴っつー事か…」

コンコン
文字をノックして数秒、どうやら「出」の辺りから、淡々とした男の声が聞こえてきた。
『誰だ』
「すまんな、ちと問題が発生したので戻ってきた」
『クリスティーナか…わかった、入れ』
『えー!問題でしょ!?あと20分くらい待ってくれないかなぁ。僕ぁ見ての通り、優雅なティータイム中なん…』
突如割り込んで聞こえてきたのは、どう考えても「おじさん」と言えそうな男性の声だった。更にその声を遮る形で「ガッ!」という音が聞こえてくる。
一応隊長の部屋に向かっていた事実と、聞こえてきたやり取りとで、榛名は「大丈夫なのか、こいつら」という疑いの眼差しをクリスに向けた。

『鍵を開ける。速やかに入室しろ』
「わかった」
『あーあ…修理代どうする気だい、ラビットファー』
『隊長の給金から引いておきます』
『それは横暴じゃない!?』
「…おいクリス…激しく不安なんだが」
「我慢しろ。どの道頼る相手は他にない」
ガチリと音を立てた扉に、クリスが手で触れる。扉はするりと、引き戸のように壁の中に消えた。
スタスタと先を行くクリスの後を追い、榛名は妙に緊張していた。自分の未来は、この部屋の主にかかっているのだと……

そして扉が閉じた時、少年の「平穏な未来」予想に、ピシリとヒビが入った。