第8話. 加害者と、被害者と





大きな執務机の奥に座っていたのは、快活な笑みを見せる40代前半くらいの男だった。頭には羽つき帽をかぶり、着ている紺色の服はまるでどこかの軍の幹部のようだ。羽織ったマントには肩章がつき、襟元には何かの毛か羽か、フサフサしたものがついていた。
目元によったシワや骨格のわかりやすい輪郭は年齢を感じさせたが、それによる弱々しさなど微塵も感じられない。

「お帰りクリス。問題だっけ?」
クリスの後から入室した榛名を見やりながら、隊長らしき男は人の良さそうな笑みを浮かべた。その後ろの壁には小さな、しかしそれなりに深い亀裂が入っており、どうやら先程の「ガッ!」の結果と思われる。
クリスが問いに答えるより早く、執務机の傍に立つ男が口を開いた。扉の前で最初に聞こえてきたのと同じ、淡々とした声が流れ出る。
「遺体の持ち込みは許されていない」
「やむを得ずじゃ」
「……一体何をした」
厳しい声で言いながら、顔には怒りより戸惑いの色が濃い気がした。パッと見にも表情豊かな男ではないから自信はないが、「お前がなぜ」とでも言いたそうだ。
それを察してかクリスはフードを下ろし、自然な動作で軽く姿勢を正す。相手の二人に向ける目は真剣で淀みないものだった。


【8 加害者と、被害者と】


クリスが事情を話す数分の間、榛名は今度はしかめっ面の男を眺めていた。年は22、23くらいに見えた。ニコより少し下に見えるとはいえ幼さはなく、整った顔立ちをしている。薄茶色の髪は後ろがやや長く少しクセがあるのか緩やかに跳ねていて、四角いメガネの奥の瞳は鋭く、生真面目というより厳格と言った方が正しそうだ。
そんな彼もこの隊の一員だろうに、…いや、だからこそなのか、きちっとした燕尾服を着込んでいるのが榛名には気になった。隊とはいえ、制服なんてものは無いらしい。

「なるほどねぇ…」
思案しながらの声が吐き出されて、説明が終わった事に気付く。隊長は机に両肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せていた。困ったなとばかりに軽く、明るいノリで苦笑している。
「やってくれたねぇ〜クリス。割と前代未聞!僕の首も飛んじゃうかな、こりゃ」
「それどころか、連盟全体に響く事件だ…この罪は重いぞ、クリス」
「人一人の命、そう軽くはない。勿論覚悟はしている。いたくすまんとも思う。…じゃが、それよりハルナをどうにかしたい」
「――うん、まぁ、それが当然の事だねぇ」
今までとは違う、重みのある声だった。僅かに低くなっただけのはずが、見えない圧力すら感じる、紛れもない“隊長”の声だった。笑みを浮かべているのは変わらないのに、その目にはもう柔らかさなどなかった。
「君が殺した命だ。君がなんとかしなくちゃね」
「……」
黙って次の言葉を待つクリスの横で、榛名は狼狽えていた。
確かに自分の魂を狩ったのはクリスで、自分は今死んでいるのだが…「飴で殴られた」らしいのであって、「殺された」という認識は薄かった。
どうにかしてほしいのも本当だが、危うい橋と聞いてもいたが、実際クリスが追い詰められていると動揺してしまう。急に重苦しくなった空気が余計に不安を駆り立てた。

「…ちょっと待てよ」
耐えきれずに言葉がこぼれ、三人の目がこちらに向く。
隊長は何を言うかと品定めでもするような目でこちらを見ていて、普通ならよく考えて発言しなければと萎縮しそうなものだったが…感情のままに話し出した榛名が言葉に詰まる事はなかった。
「俺は別に、あんたらも連盟も責める気なんてねぇよ。元に戻してくれりゃそれで良い、責任とれとか訴えるとか…んな面倒な事もしねーし」
「だが、元に戻れなければ恨むだろう」
「…そりゃ、ちょっとは恨むだろうけど。だからってこいつに魂ごと消えろとか、そんなのは…俺は望まない」
「……」
ちらりと、男と隊長が目を合わせる。一瞬の内に会話でもしたのか、隊長はにこやかに、しかし声色は変わらないまま言った。

「クリスを庇ってるのかい?君を殺した子だよ」
「んな事わかってる。“殺された”なんて風には思ってねーけど。…でも」
「ハルナ。気遣いは嬉しいが、私自身責任をとりたいと思っているのじゃ。お前は自分が元に戻ることだけ考えろ」
「責任ならとったじゃねぇか!荒っぽかったけど俺の身体取り戻したし、今も、自分もヤベェのに俺が戻ればいいとか言って…方法探して、こっちに連れて来てくれてんだろ。…お前は充分、責任とってる」
「…じゃが……」
「つまり、こういう事かな?君の望みは“元に戻ること”、そして“クリスが厳罰にならないこと”。この二つが両立すれば一番良いってわけだ」
「あぁ。それならなんも文句はねぇよ」
「……ん〜、参ったねぇ」
息を吐くと同時軽く力を抜いて、隊長は首を傾ける。権威を感じさせる険しい雰囲気だったものが少し和らぎ、体勢を戻した時には穏やかな目をしていた。

「君を殺したのはウチの隊。だからそのトップである僕は君に対して責任がある。君の願いが最優先!でも――…君が「いいです」って言ったところでね、「はいそうですか」ってクリスを許すわけにはいかないんだよ」
「はぁ?被害者がいいっつってんだから――」
「お前とその身体をここへ連れて来た、その程度では命一つに見合わない…隊長はそう言っている」
「っ……」
「納得いかない顔だね。君は変わってるな…普通、死んだだけで嘆くものさ。理不尽な死なら余計ヒステリックにもなる。他人を、まして自分を「うっかり殺しちゃった」奴を気にかけるなんてね……」
隊長は立ち上がると、ゴツゴツと重たいブーツの音を響かせて数歩机から離れた。手にはステッキを握っていたが、どうやら足腰が悪いわけではないらしく、手でクルクルと弄んでいる。 何か思案しているようだったが、フムと頷くと同時、ステッキをパシリと持ち直して微笑んだ。

「面白いね。うん…そんなに言うなら、処罰が軽く済むよう手を考えてみよう」
「本当か!」
「待て。私は己の弁解をする気はないのじゃ。責任についても私個人の問題であって、隊やお前に不備がない事は証明できる。己の罪を他人に着せるのは――」
「まぁまぁ。あのね、上司ってのは責任とるためにいんの。普段の狩りを優秀な部下に任せてるんだからさ…むしろ喜んで責任とっちゃう」
にっと笑ってみせる隊長に、クリスは珍しく眉を下げた。
「トッポギ…」

――場違いとは思った。
意識を向けるべきはそちらではなく彼らの会話だとわかっていた。しかし榛名は強く興味を引かれてしまっていた。
たった今クリスが、まるでそれが隊長の名前だとでも言うように、某国の料理名を呟いた事に。
「(突っ込むべきなのか、このシリアスな場面で……)」
ごくりと喉を鳴らしてタイミングをはかる榛名だったが、結局言い出せない内に隊長が再び話し始めた。

「じゃあそれはそれとして、“元に戻るってどうすればいいか”だけど。…ハルナ君?聞いてる?」
「あ、あぁ……」
「うん、それでね?悪いけどオジサン狩るの専門だから、そういうのできないんだよねぇ」

「…………、えっ?」