第9話. 真名、誠意の証





「ま…マジでか…?一応、あんた頼って来たんだけど…」
呆然と呟いた榛名の前で、隊長はにっこり笑っている。彼ならあるいはとやって来て、クリスについても穏便に済ませられそうだとなったのに……元に戻す事は『できない』と。今ハッキリ言われてしまった。
動きを止めて立ち尽くす榛名を見やり、傍らの男がボソリと付け加える。

「隊長一人では無理、という意味だ」
「は?…あ、あぁ。何だ…ややこしいな」
「まぁね、方法はあると思う。あるんだけどね、他隊の力も借りなきゃ無理だろうね…しかしこんな事、他隊にまでバレたらクリスは間違いなく厳罰だ」
「バレたら、って…ここ来るまでに色んな奴に見られちまってんだけど」
「クリスティーナは処罰覚悟だったのだから当然だ。それでも、見られただけならいくらでも言い訳できたが…」
「協力してもらうってなると、全てを話す必要があるからね」
苦い顔をする隊長はステッキをくるくる回しながら机の前に戻る。そして再び椅子に腰掛けた時点で、机から「ピッピッピ」と低めの電子音が鳴った。隊長やクリスの目が即座に動き、机上の一点で止まる。

次の瞬間平坦だったそこに細長い穴が空き、茶封筒が一つ飛び出してきた。穴はすぐ塞がり、隊長は封筒をキャッチすると差出人名を確認して眉をひそめた。
ペーパーナイフで封を切り、中の手紙を読んでいく。ごく短い文だったようで、内容を把握した彼はゆっくりと口角を上げた。

「これは…不幸中の幸いかな」


【9 真名、誠意の証】


「あそーだそーだ!まだ自己紹介してなかったねぇ」
ポンと手を叩き、隊長は満面の笑みで榛名を見る。手紙を押し付けられた男も眼鏡の奥で少し目を丸くしていて、慌てて書面を確認し始めた。そして榛名は当然――
「 は ァ ? 」
「……うん、会った時から思ってたけど…君はすごい眼力の持ち主だね。オジサン心が折れそうだよ」
「ちげーだろ説明しろよ何だその手紙!何で急に気楽な感じになってんのか全ッ然わかんねぇ」
「そうじゃな…差し支えなければ、読んでくれんか」
書面を読んだ時のまま指一本動かさない男にクリスが言う。彼はちらりとこちらを見やると、動揺の滲む声で読み上げた。

「不備あり。け―365番の狩りを即刻中止せよ。サルを連れて説明に行く アリア」

「サル…?」
首を傾げつつ隣を見ると、クリスは少女らしからぬ大人びた顔でため息をついていた。小さく刻まれた眉間のシワが、呆れと疲労を示している。
そしてぱっと顔をあげたかと思うと、いつも通りの無表情で隊長に棒つき飴を突きつけた。
「思う存分、自己紹介するが良い」
「流石クリス!話が早いねぇ」
「おい」
「安心しろ、ハルナ。少なくとも他隊の隊長二人を協力者にできそうじゃ…奴等が来るまで、放置で良い」
「…そうなのか……。二人って、まさかサルも勘定に入ってんじゃねーだろうな」
不安に顔をしかめながらも、どうやら事態が良い方に転がったらしいのは場の空気から読み取れた。

隊長は軽く服を引っ張って整え、一つ咳払いして榛名に向き直る。真っ直ぐ床に突かれたステッキがカッ!と音を立てた。
「僕は『魂狩り隊』の隊長、トッポギだ」
「それやっぱ名前だったのか…」
「よろしくね、ハルナ君。……」
「…同隊副隊長、ラビットファーと言う」
促すような視線を受け、渋々といった調子で隊長の傍らに居た男が言った。これでようやく二人の名を知ったわけだが、榛名は黙って顔をしかめ、疑わしいとでも言いたげな目を向けている。そもそも、和服さえ着ていれば座敷童子と言い張れそうな少女が「クリス」と名乗っている時点で何かがおかしい。

「我らの名は仕事上の通称じゃ」
何が言いたいか察したのだろう、クリスが説明する。
「連盟に所属する際に新たな名を決める。生前の名というのは魂との繋がりが強いからな、敵に知られれば良からぬ術をかけられる危険がある」
「敵って…悪霊とかか?」
「それもそうなんだけどね。ホラ、僕らも結局人間だから。連盟の全員と仲良しこよしってわけにもいかなくてね」
「名を教えるのは命を渡すに近い。だから創設当初より、皆自分で仮名を考え通称としている」
「へぇ……お前らは、何でその名前にしたんだ?」
正直、一番知りたいのはそこだった。とりあえずクリスに向かって聞いてみると、いつも通り顔色一つ変わらずに答えが返ってきた。

「外人名にしたかったのじゃ。クリスティーナ、良い響きではないか」
「…そんだけか」
「何か悪いか?元々自分の名がさほど好きではなかったのじゃ。“大沼ヒロ子”…何だかもっさりしている」
「親がつけてくれた名前だろ、もっさりとか言うんじゃねーよ……って、お前…!?」
外見と裏腹にまともな事を言っていた榛名だが、何に気付いたのかハッと目を見開いた。思わずトッポギとラビットファーに視線をやり、二人が平然としているのを知り再度クリスを見る。クリスはけろりとしているが、今彼女が口にしたのは――…

「何自分の名前言っちまってんだ!重要なモンじゃなかったのか!?」
「重要だが、お前にはむしろ言って当然の物じゃ。私ばかりお前の命を左右している…ケジメの一つだ、気にするな」
「ケジメって…いや、別に呪ったりしねぇけどよ……」
「流石はクリスってとこだね。うん、乗った」
「確かに、的を射た意見ですね」
「は……?」
きょとんとして目を瞬く榛名を置き去りに、トッポギはぐっと親指を上に突き立てラビットファーは眼鏡をかけ直す。
――そういえばニコが「ラビットファーの機嫌とっといて」と言っていた気がしなくもないが、そんな状況でもなさそうだった。改めて、トッポギが榛名に笑いかける。

「黒沢奏。オジサンは自分の名前が大好きさ。カナデ…良い響きだろう?トッポギは、気に入ってる言葉の頭文字をとったものさ」
「り、料理名でつけたんじゃなかったんだな……。あんたは?」
「…高峰敬吾」
「……ケイゴくーん、ラビットファーくーん。フルネームだけ言ってだんまりってどうかな。ね、由来由来」
トッポギがパンパンと手を叩いて促す。ラビットファーは眉をつり上げたが、そのしかめっ面のままぼそりと低い声で言った。

「ラビットファーは単に…好きだからつけた」
「へぇ…(なんか意外だな。こいつが毛皮好きって)」
「…ウサギの」
「(そう。しかもウサギの)」
「皮を剥ぐのが」
「そっちかよ!!」
「急に大声を出すな」
あまりの予想外っぷりについ叫んだ榛名だったが、ラビットファーの返しは冷静で、素早く、無表情。冗談を言う相手にも見えない。恐らく本当にこの物騒な理由で自分の名を付けたのだろう。
大丈夫かコイツという視線を向ける榛名に、クリスがぽつりと呟いた。
「奴の刈生は皮剥ぎ用のナイフじゃ」
「ガチじゃねぇか!!」
「ガチじゃ」
「ま…それはそれとして。僕ら三人の真名を以て、君への誠意の証とするよ。もし僕らを許しがたく思ったなら……好きにするといい」
トッポギが微笑む。一見和やかでも、その声も目も真剣そのものだった。唐突な覚悟の突きつけに何だか居たたまれなくなり、榛名は話を切り替える。

「…お前らは、何だ、お互いの名前は知ってた感じだな」
「あぁ…僕ら三人は結構な古馴染みでね。僕とクリスが同期、ラビットファーは後輩なんだ」
「……は?」
「だからその鋭い目を更にギンッ!てさせるのはやめてくれないかな。わかる?ガラスのハートなの」
「……お前とクリスが、同期?」
「ほぼじゃがな。…連盟において、外見年齢も何も関係ないぞ」
「…それはわかってんだけどよ……」
それでも見た目は、40代のおじさんと小学生の女の子だ。「仕事の同期です」と言われても、素直に頷きがたい。

ギロリと(本人的にはちらりと)二人を見る榛名の背後、閉じた扉の向こうから唐突にゴスンと音がした。振り向くより早く、部屋にノックの音が響き渡る。
ラビットファーが執務机の一角に触れた。
「アリア隊長でしょうか」
よく見れば彼は机に書かれた「入」という文字に指を置いていて、恐らくはその上に書かれた「出」から、刺々しい女性の声が聞こえてきた。
『私だ、今すぐに開けろ!!』
既に「開」の字の上にかざされていた手がそれに触れる。扉がするりと移動していき、半分ほど開いたところで榛名は固まった。

物凄い勢いの藍色の何かが、真っ直ぐこちらへ向かってきていた。