第17話 役割、それぞれに





「…隊長。確かにあたしはハルナがこれからどうなっちゃうのか凄い興味あります。けど…」
とてもわかりやすい愛想笑いを浮かべてツカツカと部屋の真ん中を通り、ニコは執務机に手をついた。途端、その表情が般若と化す。

「あの野郎の所に行くのは絶ッッッ対にイ・ヤ!!」
「まぁまぁそう言わずに、頼むよ。ね?」
「ありえないんだけど……!アイツに媚び売れって事ですよねそれ!そんなのセクハラでパワハラでアカハラです!!『裁き隊』に訴えますよ!?」
「お前は隊長に散々借りがある事を忘れるなよ、ニコ。今までお前の不始末を隊で処理してやったのは隊長の慈悲でしかない。断りたいなら…全額耳をそろえて払ってもらおうか」
「そ…!それとこれとは別でしょ…!」
「ただ奴に頼み事をするだけだろう。いいから行ってこい」
「生理的に受け付けないのよ!!大体――」

パンパン、と手を叩く音が響き、言い争っていた二人はピタリと動きを止めた。
同時に音のした方を見ると、アリアとハルナが真顔で、しかしどこか呆れた様子でこちらを見ている。
「双方待て。意味がわからん」
「俺も全くわかんねぇ」
「…まぁ、ハルナは来たばかり、アリアは仕事人間。知らんのは当たり前じゃな」
そう言うと、クリスは促すようにカタリを見上げた。カタリは笑顔で頷き、
「『開発日和』の副隊長さんは、ニコさんの事が好きなんですよ〜」
「はぁ!?」
「何だと…!?」
「あれ、そうだったの?へぇ〜、おれも知らなかったなぁ」
「奴はかなりお熱じゃぞ。ニコが会いたがらんから、なかなか見る機会もないが」
「お熱って…言い方古ぃなおい…」
「ちなみに僕も、最初からニコさんに交渉をお任せするつもりで話してたんグフッ!!」
「ざっけんじゃないわよダメガネ!!次言ったら鎌で顔面殴り飛ばすわよ!!」
「………。もうやってんじゃねぇか」

新たに血痕の増えた部屋で、ハルナが呟いた。


【17 役割、それぞれに】


「しかしニコ、よく考えろ」
「?何よ……」
未だ埃舞う室内で、クリスはしれっとした顔で棒付き飴を突きつける。眉間に深いシワを刻んだニコがそちらを見やり――

「奴のウザさに付き合う時間は最低限にすれば約数分で済むはずじゃ。よもや作業中までお前に付き合わせたりはしないだろうし、逆にお前さえ早いとこ押しきってしまえば良いだけの事。その数分だけ耐えてしまえばハルナ、それに我々皆が助かる事になる。他の手を考える時間も惜しいしただ頼みに行ったのでは奴はこちらに何か要求してくる可能性が高いと思わんか?なればこそここでお前が活躍しておけば事は済むし、お前はこの珍しき事態の終結を目にできる。加えて言うならトッポギやラビットファーも、今回の事を考えて次回以降のお前の失態も多少見逃してくれるやもしれん。
さて…やるかやらないか、どっちが得じゃ」

……。

「そ…そうよね!なんかその方が断然良い気がしてきた!よーし、見てなさい…あの変態にバッチリ言う事聞かしてやるわ!!」
「うむ、行ってこい」
「行ってくる!!」
ニコは何か吹っ切れたようにキラキラと輝く笑顔でガッツポーズをし、安置してあった榛名の身体――の、髪を握り締めて走り出した。

「よっしゃぁあああ!待ってろド変態ーっ!!」
「お前が待てェェェ!!テメェそれ抜けたらどうしてくれんだコラ!!」
「ハルナ、無駄じゃ。もう遠い」
「くそっ…つーか急にやる気出したなアイツ」
「頭が弱いからな。長文でつらつら言われたら、もうよくわからんのじゃ」
「…まぁ、それで上手くいくならいーけどよ…」
『開発日和』がついでに頭皮のダメージを癒しておいてくれないか考えつつ、殴り飛ばされていたカタリの方を見る。真ん中分けにされた緑髪のちょうど中間で、額が真っ赤になっていた。小さな小川のようにたらたらと血が流れている。

アリアはそちらを気にも留めず、やれやれと額を押さえた。
「あの男が…言う事を聞くほど、誰かに惚れ込むとは。妙な事もあるものだな…。隊長の方は、何もせずとも平気か?」
「彼は研究さえできればそれでいいからね。わざわざ他に漏らしたりはしないよ……さて。大丈夫かい、カタリ」
「………ニコさんてば、8割ぐらい本気でした。……もう少し、手加減を覚えてほしいです…」
起き上がるのが億劫なのか、カタリは床に大の字で倒れたままため息をついた。いつの間にやら近寄っていたサルベージが、ぽんぽんとその頭を叩く。

「手加減しないっていうのは、ニコがそれだけきみと本気で向き合ってくれてるって事じゃないか。確かに痛いものは痛いけれど、そういう人がいるのはとてもすてきな事だとおれは思うよ」
「う〜ん、そうですねぇ…サルベージ隊長がそうおっしゃるなら、本当にそうなんでしょうねぇ。はは、そう思ったら痛みも引いてきました〜」
爽やかに笑い合う二人の周りに、ぽわぽわした感じの花が見える。きっと彼らの頭の中にはあれと同じ花が沢山咲いているのだろう。

ラビットファーは二人に背を向け、仕切り直しとばかり咳払いを一つ。
「コホン…、アリア隊長には、その台帳を上手く管理していただかなくてはなりませんが…。」
「確か、君と副隊長は細かい台帳の管理を許されてなかったね。多忙で管理しきれないのは事実だし…誰か信頼できる部下は?」
「……抜かりない者に任せよう。それで事が露見するようなら、私が責任を」
「駄目だよ」
言い切る前に、鋭い声が飛んだ。

「発覚したら連帯責任。きみ一人で済むものじゃないし、そんなのおれもトッポギも許さない」
サルベージは微笑を浮かべていたが、その目は笑っていない。金色の瞳には絶対に譲らないという意志が見える。アリアは不機嫌そうに眉を吊り上げると、サルベージに背を向ける。
「……ふん。どの道時間もかかる事だ、怪しまれん内に私は戻る」
「了解。後の事はまた追って連絡するよ」
ズンズン去っていく背中に声をかけ、トッポギはひらひらと手を振った。静けさの戻る室内で、サルベージはカタリの前に出て自分を指す。

「おれは何をすればいいかな。とりあえず“善行録”の記述が進まない事実が誰にも知られないようにするけど、他には?」
「ん、えーっとですねぇ……」
「調査隊員に、ハルナが対象外である事を伝えていただけますか。他隊だから細かい事情は知らないが…と」
「そっか、言っておかなきゃ現場が混乱しちゃうね。うん、引き受けたよ」
喋るのも鈍いカタリに代わり、ラビットファーがテキパキと話す。サルベージもにこにこして頷き、それを端から眺めるだけとなったカタリはやや残念そうに肩を落とした。

「ありゃ、せっかくの見せ場をとられてしまいました〜…」
「…見せ場か?これ…。ただの説明だろ」
「普段ぼけぼけの奴にとっては、久々のキリッとできる場なのじゃ」
「…普段からキリッとしとけよ」
榛名はボソッと突っ込んだが、彼の性格上それが難しそうなのはわかっていた。

三人のやり取りを完全に無視し、ラビットファーは言葉を続ける。
「後はやはり…ペコー隊長にも同じ事をしていただきたく。」
「そうだねぇ、彼の説得は君にしかできないしね。よろしく頼むよ、サルベージ」
「よろしく頼まれるけど、トッポギ。ペコーはとても良い子だから、きみの頼みだって聞いてくれるよ」
「……あのね。君はそう言うけど――」
「いえ、サルベージ隊長からお願いします。絶対に」
「そう?」
言い淀んだトッポギと、キッパリ言い切ったラビットファー。ペコーについて殆ど知らない榛名にも、なんとなく事情を察せる雰囲気だ。恐らくサルベージの言う事くらいしか聞かない弟なのだろう。

「まぁ、誰から言っても協力してくれる事に違いないしね。会って話せるようかけあってみるよ」
「ありがとうございます」
「それじゃ、皆またね。ハルナくんもがんばってね。何かあれば、おれで良かったら相談に乗るよ」
「?おぅ……」
一体何について頑張るのか、さては身体が戻ってきたあかつきには何らかの試練があるのだろうか。去り行く背を見送りながら、きっとサルベージに相談する事はないだろうと榛名は思った。
なんというか、頭がお花畑過ぎていまいち頼りにくい。

「つか、その前に医者行けよ…」
血が点々と続く床を見て、呟いた。