第19話 天地連盟、死神部





押し寄せる変案(発案者は本気)を跳ねのけ書類への血判を終える頃には、榛名はかなり疲れきっていた。ラビットファーが本人はそうと知らぬ間にボケに回ってしまったため、ツッコミは榛名一人しかいなかったのだ。
「どうかしたのか、ハルナ。元々悪い目つきが更にひどくなって…極悪人のようじゃぞ」
「うっせ…ちょっと喉痛ぇだけだ」
「のど飴なら…ふむ、手持ちはこれだけじゃな。『激辛!カプサイシンのど飴』」
「いらん」
治る気がしねぇと吐き捨てて、差し出された真っ赤な包装の飴を押し返した。

壁によりかかる二人の前ではラビットファーがホワイトボードを片付けていて、トッポギは執務机で書類に何やら判子を押している。
そこへ廊下を走る音が近付いてきたかと思うと、

バァン!!

――何かが叩きつけられた音。
恐らく呼び鈴である壁の文字「呼」が思いきり叩かれたのだろう、なんとなく相手の予想がついたのか、トッポギは相手が何者かも問わずに机の「開」の字に触れる。
開いた扉からずかずか入ってきたのは、晴れやかな顔のニコだった。


【19 天地連盟、死神部】


「たっだいまー♪」
「……。呼び鈴は静かに叩け」
いたく上機嫌な彼女を、ラビットファーは深いため息で迎えた。もしかしなくても怒っているようだったが、ニコを見た途端怒鳴る気は失せたらしい。
怒りが呆れに変わり、しかし彼女が笑顔で戻ってきたという事は一応の成功が予測される。入室が荒かった事くらい今回は目を瞑ろう。
ニコの格好を見れば、一筋縄でいかなかったのはわかりきっているから。

「…お前、どうしたんだそれ」
何となく察しをつけて何も言わなかった三人とは違い、榛名はあっさりとそう聞いた。変なものを見るような目をして、指はしっかりとニコの持っている「血の滴る大鎌」を指している。
「変態を成敗してきたのよ。スカッとしたわ。ここ最近のストレス皆吐き出せた感じ!」
「……」
クリス達は心中でやっぱりなと呟き、榛名は呆然とニコの爽やかな笑顔を見つめていた。退室前と変わらぬ変態呼ばわりからして『開発日和』の副隊長、つまり協力を求めにいった相手のはずだが……血が出る程に何をしたのだろうか。

しかしさほど焦った様子もなく、ラビットファーが問いを口にする。
「それで、どうなった?随分早かったが」
「目の色変えて飛びついてきたわ。魂の比率がどうのとか何とかゴチャゴチャ言ってたけど…要するに本人眠らせて連れてこいってさ」
「笑顔で鎌を持って近付きながら言うな。何して眠らせる気だ」
ニコならやりかねないと僅かに後ずさりするが、大鎌は宙に溶けるように消えていった。近付く足を止めないままポケットを探り、ニコは紫の液体が入った小瓶を取り出してみせる。

「これを飲めばグッスリだし、麻酔も兼ねてるから検査とかザクザクできるってさ。はい」
「…サクサク進むんだよな?ザクザクって何か切り刻む的な意味に聞こえるぞ」
「副隊長だけならともかく、隊長が絡んでいれば大丈夫だ。あの人は実験体を手荒に扱いはしない」
「誰が実験体だ」
「まぁ貰っておけ、ハルナ。連れていくのでは時間もかかるし紹介の手間もいる。運ぶのが手っ取り早いんじゃ」
「また運ばれんのか…こいつに……。」
霊体というのは髪は抜けるんだろうかとか、抜けたら身体には影響があるのかとか考えてしまう。難しい顔をする榛名の考えを知ってか知らずか、トッポギは真面目な表情で口を開いた。

「彼の事だから薬の浸透時間も計算してるね。ここで飲めと言われたならそうするべきだよ。…最も、次に目覚めるのは現世に戻した後だから……僕らに言いたい事があれば、今の内にね」
「……そうか」

――薬で寝て起きたら、俺はもう現世に戻る。こいつらと会う事もない

「とりあえずニコ…さっきみてーな運び方は御免だからな」
「さっき?何だっけ」
「あぁ…そういえば、髪わし掴みにされてたねぇ。あれはさすがに不憫だったよ」
「あら失礼。お姫様だっこが良かった?ごめんね気付かなくて」
「やめろ」

クリスに殴られてから何時間経ったかわかんねぇけど…短い間に、随分色々あった。

『俺の身体返せぇぇえ!!』

『君が殺した命だ。君がなんとかしなくちゃね』

『結局これはただの事故で、誰が悪かったわけでもないだろ』

『……ありがとう』

『実はですね、前にも居たっぽいんですよ。ハルナくんみたいなヒト』

起きた時には全部、夢みたいに思えるんだろうな…

「万一身体に異常があったら大変だからね、オジサン達もこっそり見守るから」
「…隊長。それを口実に仕事をサボる事はできませんよ。内密ですから」
「い…嫌だなラビットファー。僕がそんな事するわけないじゃないか、ねぇクリス?」
「………」
「…百歩譲って無言はわかるけど、せめてこっち見てくれるかな……」

――こいつら皆、本当はいないみたいに。

「……ったく」
最後まで変わりない四人を眺めながら、榛名は誰に気付かれる事もなく笑った。本当に短い出会いだったが、一時はどうなる事かと思ったが、済んでみれば悪くない思い出だ。
「何つーか…色々ありがとな」
それは決して大きな声ではなかったが、四人は話を止めてこちらを見た。トッポギは少し驚いた様子だったが、やがてゆっくりと首を振る。

「お礼なんてとんでもない。君は何も悪くないだろう?僕らが協力するのは当然の事さ」
「こちらの非だ。それなのに、お前が赦した事…むしろ礼を言わせてもらう」
「そーね、珍しい事件に立ち会えたしねー。面白かったわよ〜、なかなかに♪」
「…俺も礼はいらねぇんだが、面白がられんのは何かムカつくな…。」

「ハルナ」
名を呼ばれて、そちらを見る。
すぐ近くで自分を見上げている少女の頭をぽんと一度だけ撫でて、榛名は目線を合わせて屈んだ。
クリスは榛名を見つめたまま、背負ったリュックの紐をきゅっと握る。
「…ここでまた謝るのはナシじゃな」
「あぁ、ナシだ。もう気にすんな」
「改めて礼も言いたい所だが、どうせ『さっき聞いた』的な事を返されそうじゃ」
「……まぁな」
「だから、こう言っておく」
くいっと口角を上げた、自信ありげな笑みを浮かべて。

「またな」
小さな右手が差し出され、一瞬の後榛名がその手を握る。
「――あぁ、また。」
微かな笑みを返すと、小瓶の蓋を取った。

もう会えないだろうと、榛名がそう考えたのは早計だったかもしれない。
遠い未来、予定されていた寿命を終える頃……この少女は再び現れ、この場所へ誘ってくれるだろう。


紫色の中身を一気に喉へ流し込むと、想像していたような苦味はなかった。とろりとした甘い液体を飲み下した途端、頭がぐらつく。
あっという間に閉じていく意識の中で、声に出せたか出せないか……榛名は小さく呟いた。


――そんじゃ…またな。

天地連盟、死神部――……