第20話 その全て、夢であったと





目を覚ますと見知らぬ部屋にいた。

埃が溜まり、今は使われてなさそうな廃ビルの一室。長らく眠っていたような倦怠感があるが、現状を確認しようと榛名は立ち上がる。
床や机の上だけあまり埃がない…片隅に学生鞄がぽつんと転がっているのを見てやっと、今まで鞄の存在を忘れていた事に気付いた。
「それどころじゃなかったしな……。つか、今何時だ」
窓の外は既に薄暗い。
携帯で時間を見て、画面の明かりで暗い階段を照らす。下りた先は見覚えのある通りだった。大通りへ向かって歩いてみれば、今朝方車に激突された電柱が今もなお傷を残している。

「――……。」
その電柱の傷と、自分が今ここにいる事。
これらの事実だけが、今日一日を現実だと教えている。

しかし翌日再び訪れた時には、電柱には何の傷も残っていなかった。


【20 その全て、夢であったと】


街はいたって平和だった。
朝日降り注ぐ中小鳥はさえずり鳩が鳴く。電線のカラスに見下ろされ、サラリーマンやOLは駅へと急ぎ、学生達はのんびりと道を歩いていた。ガードレールや建物の前では時々、何をするでもなく立っていたり座り込んでいる人を見かける。

そんな街並みを少し煩わしく思いながら、高校生・榛名純真は欠伸を噛み殺した。
「ねみ……。」
誰に言うでもなくボソリと呟く。いつもならもう20分以上は寝てから家を出るが、ここ数日は早めに学校へ向かっていた。

死神、クリスティーナを名乗る少女と出会った日のように。

あの日早くに家を出たのは単なる気まぐれだったが、それがなければ「今」はだいぶ違っていただろうかと考える。
つまり榛名が魂を狩られる事もなく、クリスと会う事もなく、結果足止めされなかったクリスの手で延命が決まっていたはずの一ノ瀬は生を終え、彼の担当だった『寿命計り隊』の隊員はひどく責任を……

「(……そうでもねぇか。今となっちゃ、いまいち現実味のなさすぎる記憶だしな…。)」
心中で首を横に振り、榛名はため息をついた。
例の電柱はもう無傷。榛名の身体を持ち去った三人は見かけてすらいないし、何より一度死んだはずの自身が平然と生きている。何度か寝起きしてしまえば、痕跡のない今となっては、身に起こった全てが信じがたかった。
「(身体は一応、シバリワラだか何だかで…生前に近い暮らしができるとか言ってたけど)」
夢で片付けるにはあまりに鮮明な記憶によれば、あれが全て現実であったとするならば、今の身体は以前と違ってしまっているはずなのだが。

「近いっつーか何の変化もねぇし」
軽く首を回してみても、普段と何ら変わりない音が響く。生活には何の支障もない。やはり現実ではなかったのかと思いかけるが、ならどこからが夢だったのか。

考えてわかるはずもなく、しかし何か残ったものがあるのではと、こうして同じ時間に同じ道を通っている次第だ。

今日も今日とて変わりなくクリスと会った横断歩道を通り過ぎ、やがて道の先には校門が見えてくる。他の生徒もそちらへ向かう中、
「ねぇ、どこから来たの?もしかして誰かの妹さん?」
「可愛いね〜。そのリュックはお気に入りなのかな」
「私こんなの持ってるけど、食べる?」
近くでは数人の女子が立ち止まって何やらキャイキャイ言っているようだが、榛名には関係ない。お構いなしにその場を通り過ぎ――……

「お前達、学校があるんじゃろう。私に構わず行くが良い」
「………、ん?」
お構いなし、とはいかなかった。聞き覚えのある声に、ピタリと足を止める。
「だがそのクッキーは貰っておく。飴ほどではないが、好物なのじゃ」
声どころか、話し方もその内容からわかる性格にも覚えがある。榛名はギギ、ギ…と音が出そうなほどギクシャクした動きで振り返った。
笑顔で「バイバーイ♪」と手を振っていた女子達がこちらに気付き、サッと青ざめて走って行くのはどうでもいい。その怯えた連中がどいた先にいる人物こそ重要だった。

「クリス…!?」
「しばらくじゃな。息災であったか」
そこにいるのはどう見てもクリスティーナ本人だった。
カンガルーの着ぐるみパジャマに身を包み、ネコ型リュックを背負い、棒つき飴をくわえ、相変わらずの無表情でこちらを見上げている。
「お前、な、ど……ていうか……!!」
「ふむ。『何で、どうしてここに』『ていうか今他の奴にも見えてなかったか』……質問は一度に一つずつ、ハッキリと言った方が良いぞ。答える側が困るからな」
「そんだけちゃんと聞き取れるならいいだろ!つかマジで説明しろ、一体どういうわけだ、あぁ!?」
「首根っこを掴むな。年上は敬え」
ひょいとつまみ上げられ道の脇に連行されながら、クリスがぼやいた。

「準備に少し手間取ったが――これから先、私はお前と行動を共にする。それには他の奴にも見えた方が良いのでな、私も“縛藁”を使用しているのじゃ」
「行動を共にって…何でだよ?」
「“縛藁”は正式な手順で狩られた魂の短期間の器……じゃが、お前はミスで狩られている上に長期間で使用する」
「あぁ…そうだな。何十年だからな」
「まぁ、簡単に言ってめちゃめちゃ不安定なのじゃ。気の扱いと魂体接続の見極めに長けた誰かがメンテナンスせんと危ない」
「メンテナンスって……。お前に任せんのもそれはそれで不安なんだが」
かと言って、なら誰なら安心かと聞かれても答えられないのはわかりきっていた。連盟で会った中で不安要素の無い者など、ただの一人もいなかったのだから。

「また、一度死んでいる故の弊害もある」
クリスは口内に突っ込んでいた棒つき飴を取り出すと、周囲の人々を辿るようにスッと横一閃に動かした。
「二割は死者じゃ」
「はぁ!!?」
「見分けがつかぬだろう。下手に関われば大問題、最悪道連れにされるぞ」
「……ここ数日、人が多いとは思ってたが……」
「後は…不安定だからこそ、悪霊に見つかれば必ず狙われる。魂を喰われ、その身体…“縛藁”は悪用される事になろう」
「あ…悪霊まで出てくんのかよ……」
別れ際、サルベージが頑張れとか相談に乗るとか言っていた事を思い出す。もしかしなくても、こうなる事がわかっていたのだろうか。

「内密故、『悪霊狩り隊』には頼めん。私が護衛する」
「……」
クリスを戦わせる事になるなら、正直抗議したかった。自分のためにこんな少女を危険に晒すのは気が引けた。しかし自分一人で対抗できるとも思えなかったし、何よりクリスが譲らないつもりらしい事は見てわかる。

難しい顔の榛名に、クリスはにぃっと笑ってみせた。
「つまり、これからもよろしくという事じゃ」
「………仕方ねーな」
苦笑いで、フードの上から頭を撫でてやる。未来への懸念が増えたのは確かだが、クリス達にまた会える事、それが嬉しい事も確かだった。

「またよろしくな、クリス」
「うむ、任せておけ」
少し胸を張ってみせる姿を懐かしく思いながら、榛名は立ち上がる。
これから先、多くの混乱と共に……多くの面白い事が起こりそうな予感がした。